お客様の声
M様
何度建て替えても
うちは塩山さんで
私たちの住む三田市下里は、塩山さんの出身地ですよ。この自然いっぱいの野や山を子どもの頃には一緒になって駆け回ったものですわ。
いまの家は昭和53年に塩山さんが建ててくれました。
その前の昭和20年に、火事のせいで一度建て替えているのですが、これも塩山さんの仕事。
焼けた家というのはいつ頃建てたのかねえ。いかにも農家という感じの藁屋根の家でしたが…。
でも建てたのは塩山さんだろうと思います。何しろいまの社長で5代目なんだから、絶対にそうですよ。
とにかく塩山さんがいなかったら我々は住むところがないんだから(笑)、いてくれないと困ります。
この家を建てる時も、自分の土地に生えていた松と太いひのきを使ってね、ほら、この玄関の柱がそうですよ。きれいで立派なひのきでしょう?
当時塩山会長も材料がいいからやりがいがあるって言っていましたっけ。
うちは観光農園をしているのですが、リンゴ狩りや栗拾いに来られるお客様がバーベキューをしたり鴨鍋を食べたりして楽しむためのバンガローや、藁屋根の東屋も塩山さんにお願いしました。
代々続いている工務店だし、地元住民としてのおつきあいもしているから安心感が違うんです。それに、仕事ぶりに対して悪い評判を聞いたことがない。これだけ長く続けているのに、それはすごいことだと思いますよ。
私は自然ゆたかな三田の魅力を、農産物を通じて発信していきたいと思っているのですが、塩山さんには”本物の木の家を、しっかりとした建て方でつくる工務店三田にあり”ということをもっともっと多くの人に伝えていってほしいと思っています。
▲少年時代から仲良しのM様と塩山勲会長。「走り回ってよく遊んだなあ」
▲山小屋風のレストランや藁葺き屋根をそのまま残したあずま屋も塩山工務店で。
協力業者様の声
【新井設計事務所】新井 泰夫様
会長から受けた恩を、
社長に返したい
塩山さんとは私が塩山さんの依頼で申請用の図面を描いたり、私のところで設計を担当したお客様邸の施工をお願いしたりするという関係です。もうかれこれ30年近くなりますね。
施工する工務店を紹介するのは結構気を遣うんですよ。
ちゃんとした仕事をしてくれればお客様は喜んでくださいますが、その逆だと私まで信用を無くしますから。
その点塩山さんは仕事がきっちりしているから任せて安心だし、お客様からは「いい会社を紹介してくれてありがとう」と言っていただいて、私も鼻が高いです。
え?お世辞じゃないかって?絶対に違います。だって、私の家も塩山さんで建ててもらったんですから。
私はね、塩山会長を尊敬しているんですよ。仕事に対しては当然厳しいけれど、根はやさしい、情の厚い人です。
その会長の頼みで現社長が若い頃に、うちの事務所でしばらく預からせてもらったことがあるんです。
会長にしたら「よその釜の飯を食って来い」という気持ちと、設計を勉強させたいという思いだったんでしょうけれど、こちらは責任重大で緊張しました(笑)。
でもそういうご縁があったのだから、塩山社長が会社を率いるようになったいま、自分の役割は社長にとって耳の痛いことをはっきりと言うことかな、と思っています。
それで塩山さんに受けたご恩を返せるなら、本望だと思っているんです。
▲父親のようなやさしい眼差しで塩山直彦社長について語る新井泰夫様。
【塩山会会長】坊 淳様
塩山さんの仕事は我々にも
張り合いを与えてくれます
塩山会というのは塩山工務店の家づくりをともに担う協力業者たちの会です。現在は約30社が加盟して、情報交換をしたり親睦を深めたりしています。
日頃からおつきあいをしているとやはり違いますよ。現場での作業がスムーズになりますし、行き違いも少なくなります。
やはり人間お互いに顔がわかっている方が、次に作業する人のためにできるだけいい仕事をしておこうという気持ちは強くなるでしょう?そういう意味で大切な会だと思いますね。
塩山さんとはうちの親父の代からのおつきあいなのですが、しっかりとした日本古来の建て方をよく知っている工務店ですね。基本がちゃんとしているから、FPの家という新しいジャンルに挑戦しても、きっちりと自分たちのものにしていけるのだと思います。
うちもここで80年以上になる建具屋ですが、地元で信用され続けるというのは大変なこと。だからこそ塩山さんの値打ちがよくわかるんですよ。
いくら時代が変わってもいいものは残る。その心意気でこれからも誠実で真面目な仕事ぶりを継承していってほしいです。
それだからこそ、こちらも負けないようないい仕事をしようという張り合いが出るのでね。それは我々塩山会全員の一致した願いだと思います。
▲有馬冨士記念公園の近く、木の香ただよう坊建具店の仕事場。「新築の家に建具が入る瞬間は感動的」と語る坊淳さん。